【不屈の田中正造伝: 5 政治家への岐路】

前 戻る 次

 

田中正造は明治7年の夏、ひさしぶりに郷里の小中村に帰った。すでに旧藩の処分は無効になっており、田中正造が郷里で生活する事を拒む物は無かった。わすがに村の戸籍簿に「処刑死亡」として名前が抹消してあった事を除いて。
正造が帰ってみると母はすでに他界し、借財で田中家は没落していた。負債を少しでも返済しようと家財を処分したが、すでに義民として村人から尊敬されていた田中正造に対し債権者は積極的に無償で証文を返却してきた。
田中正造は、生活の手段を求めて酒屋の店番になった。しかし、この正義感溢れる男に店番は勤まらなかった。2年ほど勤めたある雨の日に、荷馬を引いた馬子が、強くなってきた雨足を避けようと、この酒屋に飛び込んで来て、酒を一杯求めた。次の瞬間、田中正造のいつもの潔癖症が、この客であるはずの馬子をどなりつけていた。大切な馬とその荷を雨にさらしたまま、自分のみが雨宿りするとは何事かと言うのである。声を荒げる田中正造に慌てて店を飛び出す馬子。気の良い店の主人も、とうとうあきれて田中正造を店から暇を出した。
続いて村の青年のための夜学の教師となったが、時は西南戦争のおり、旧知の区長との雑談で西郷隆盛をどう思うかという質問に、「これだけの人物が起こした事件、何か正当な理由があったに違いない。賊とかたずけては気の毒。」という当時としてはかなり危険な発言をしたために、その職も失った。
やがて田中正造が、その人生の中で唯一大成功をおさめた事件が起きた。西南戦争の影響で物価の暴落が起きた時、「下がったものはあがる。」という単純発想の田中正造は、家財を処分し、全く役に立たぬ捨てられた土地を買いあさった。いつも無謀に猛進する田中正造に、支持者達すらあきれかえった。しかし、田中正造の計算は見事に当たったのだった。物価の急上昇で、地価が急騰したのだ。明治12年、田中正造は借財を全て返済してもなお家族が生涯暮らすに充分なほどの莫大な利益を得た。
しかし、それで安穏に暮らす男ではなかった。村人に人望され区会議員に選ばれた田中正造は、厳格な父親に向かい、重大な事を打ち明けた。
「この金をすべて公共の為に使いたい。」
これに対し、父親は、一言返しただけであった。
「死んでから仏になるはいらぬこと。生きているうちよき人となれ。」
熱血の子にして厳格な父あり。以後、田中正造は、父への誓いを守りぬき一切の私欲を捨て、生涯粗衣粗食を貫き、ただ一心に公共の為に働いた。
その年、さっそく田中正造が挑戦したのは県都栃木町で『栃木新聞』を創刊する事であった。と同時にその年の暮れの県会議員選挙に立候補した。一度は落選したが、その二ヶ月後におこなわれた補欠選挙で見事に当選したのであった。政治家田中正造の誕生であった。
『栃木新聞』は幾度かの廃刊の危機を乗り越え、苦難の末に明治14年、東京横浜毎日新聞の野村本之助を社長に招き本格的な自由民権運動の中核を成す新聞として成長した。当時は給料の支払はもちろん紙やインクの手配にも困るほどの経営難を繰り返し、田中正造が衣服をすべて質に入れたため、栃木県会に寝巻きで出席するというほどひどい状態であった。しかし、若い記者達は情熱に燃え、過熱した政治記事により幾度も罰金を課せられたり、編集部員が逮捕監禁されたりと弾圧をくりかえされながらも地域の民権思想発展に貢献した。
同じ年に国会開設の詔書が出て、板垣退助の自由党と、大隈重信の立憲改進党が結成された。前年に政治結社「結合会」を組織し国会開設請願書を元老院に提出していた田中正造は、さっそく自由党栃木支部の組織作りに乗りだしたが、途中で板垣退助が私欲に走ったと激怒し改進党に加わるようになった。両政党の地方での対立が起こり常に先頭に立って活躍した田中正造は、栃木鎮台、栃鎮(とっちん)とあだ名されるようになった。
しかしやがて両者の対立など吹き飛ぶ事件が発生した。明治16年10月、三島通庸(みしまみちつね)が栃木県令として赴任してきたのである。

《小休止》

●田中正造伝について●

田中正造という名前を全く知らなくても少しも恥ずかしい事ではありません。それほど全国的には知名度の低い人物です。全国的に名を残すには、時代の革命児でなければなりませんが、田中正造は実際時代を変革した人物とは言えません。その時を良かれと思う信念の為に必死で生きた人間です。
今回のシリーズを作るにあたって、古い書物を図書館の特別室で閲覧しながら、その生きた証言の数々を読んで不覚にも感涙してしまったものでした。これほど偉大な人物が郷里にいたことは、本当に素直に誇れます。
感動の男を語るのに飾りは不要かと思いましたので、出来る限り淡々と味付けを少なく描いてみました。簡潔にまとめましたが、本当の田中正造の偉業を語るとしたら、とてもこの程度の回数のシリーズでは不足です。これをきっかけに興味を感じていただけたならぜひ各種出版されている田中正造の伝記を読まれる事をお薦めいたします。
話は、中盤から後半へと移り、田中正造の出会った明治の著名な人物が、意外な姿を正造に見せながら次々と登場してきます。

 

 

著作:藤田敏夫(禁転載)

 
前 戻る 次