南北朝正閏論纂(3)

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 南朝正統説が、どのような歴史をたどって明治末期につながっていったかを、同書の本文から調べてみました。『南北朝正閏論纂』の記載をもとにまとめた物ですので偏見が入っている可能性は否定できませんが、現代にはいない南朝正統説のプロが編集したものとして、かなり信頼性の高いものだと思います。
 以後、「著者」と書かれているのは『南北朝正閏論纂』の著者の事です。

《南朝正統説の歴史》

●南北朝時代〜桃山時代
 最初に南朝正統説を書物に残したのは、何といっても北畠親房です。彼の『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』は、南朝正統説のいわばバイブル的存在です。著者は、この書物が後村上天皇の為に書かれたとしながらも、実際には正閏を天下に争わんが為に記したと独自の解釈も入れています。
 『増鏡(ますかがみ)』も、南朝正統の立場で書かれているとしています。つまり後醍醐天皇は隠岐に流された時に三種の神器のひとつで、玉座に必ず置かれるという璽を持っていったという新説が書かれているのがそれだとしています。  『楠木文書(くすのきもんじょ)』では、永禄3年に楠木正成の末裔を名乗る楠木正虎が正成の名誉回復を時の正親町(おうぎまち)天皇に願い出て、認められたとあり、これより南朝に対する偏見が無くなったという意味の事を著者は記しています。
●江戸時代初期(慶長〜貞享)
 正保元年の林道春による『本朝編年録(ほんちょうへんねんろく)』は後に『本朝通鑑(ほんちょうつがん)』と改められた書物ですが、『神皇正統記』以降初めての本格的な南朝正統説の書物であると著者は言っています。両朝の正閏には言及していなくても、真器は南帝にあり、尊氏は賊と表現しており、明かな南朝正統説だと述べています。
 林道春の子の春斎は、著書『朝稽古編(あさげいこへん)』で、南朝正統説を述べているが、後に北朝正統に変わったそうです。
 有名な徳川光國による『大日本史』では南朝を本紀、北朝を列伝としており南朝正統説の書と記しています。
 金沢城主前田綱紀は有名な『楠木氏父子桜井袂別の図』を狩野探幽に書かせた人物ですが、『加賀松雲公(かがしょううんこう)』にて南朝正統説の立場を明らかにしているそうです。
 義統という僧(実際この人物については私は知りません)が『会日鑑』という著書で、皇統から北朝を完全排除した系図を記しているという事です。
 山崎闇斎という人物の『倭鑑(やまとかがみ)』で朱子学の名分説と神道の神器説を採用し南朝を本紀と表現しているそうです。
 当時の体制では南朝正統説は朝廷にも幕府にも不利益な事で、このような時期に発表されたこれら説は青天の霹靂だったと締めくくっています。
●江戸時代中期(元禄〜天明)
 元禄年間に完成した徳川光國の『大日本史』は当初北朝を公式な正統として記していましたが、最終的には南朝正統説に従ったとありました。その立場は、光厳天皇の神器は、新神器(偽神器)であり、神器の所在で正閏を決するのであるから南朝が正統だと『修史始末』『年山紀聞』などに記載されているそうです。
 以後水戸史臣(と本書では表現している)の南北朝研究は進み、神器の存在のみが正閏を決するのでなく正義がどちらの物であるかだという研究が進み、結局いずれにしても南朝の正統は明かと言う『参考太平記』が出されたとしています。  仙台城主の伊達綱村は『伊達正統世次考』で、穏やかな表現で南朝の正統を認めているとあります。
 当時「正親町天皇流神道家」というのがあったそうで、これら神道家も南朝正統説を唱えていたそうです。
 幕府役人の跡部良顕は『南山編年録』で、一般の北朝正統、あるいは両朝平立を批判し、やはり南朝正統説を唱えたとあります。
 面白いのは、新井白石を南朝正統論者に数えている事で、ちょっと現在の評価と違うなと感じます。著者が新井白石を南朝正統論者に加えた根拠は、『読史余論』にある、「光明天皇は尊氏の都合によりて立て参らせたれば正統にあらず、この時の人は偽主と稱せり」とある部分なのだそうです。
 さて、『大日本史』の刊行にあたっては、幕府と水戸藩の間で論争があったのだそうです。時の将軍吉宗は、同書を素直に面白いと認めむしろその刊行を望んだそうですが、幕府の大学頭林信篤は、自説と違うという事で、朝廷を使い、発刊阻止を計画したそうです。「南朝正統とは、当今の正統を否定する物である」という主張で、これより十数年間幕府と水戸藩の論争が続くことになります。
 この当時の論議は、神器の所在を持って正統とするなら、盗賊に盗まれた場合、盗賊が正統になるのか、とか、神器を紛失した場合皇統は途絶えるのかという極論が中心でした。結局『大日本史』の刊行は許可され、林道春の発刊妨害は、過去に水戸光國により『本朝通鑑』の発刊を妨害された事への私恨だったと著者は想像していて、ともに南朝正統論者であったことに変わりない事を強調しています。
 

著作:藤田敏夫(禁転載)

 
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