南北朝正閏論纂(2)

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教科書問題についてこの本に詳しく書かれていたので、要約してお話したいと思います。
 当時、国定教科書の「尋常小学校日本歴史巻一」の教師用テキストに、教科書の編者が、南北朝対立に関する所見を記していた部分に一部の小学校教員が激高して新聞社に訴え、読売新聞社がそれを取り上げたという事件が発生しました。  これを知った早稲田大学の講師松平康国氏と、牧野謙次郎氏が、藤沢元造代議士を動かし、国会質問を計画し質問案を提出するという事件に発展しました。
 教科書には、現在のごく一般的な社会通説とほぼ同じ様な事柄が、もちろん当時の教科書ですから、皇室の輝かしい部分はことさら強調されて書かれていました。つまり、南北に朝廷が分裂し、互いに長い期間争った。というものです。しかし、南朝を唯一の正しい皇統とする史観から言えば、これは明かな誤りといわざるをえません。たしかに客観的には事実を述べていても、北に朝廷が存在したかのように表記するのは道徳的に誤っており、国が認める教科書に記載されているという事は重大な問題がある。という彼らの主張は、当時の国風から言えば正論でした。
 当時の国定教科書の編纂委員で歴史教科書に関する部分を受け持ったのは第二部会で、部長の辻新次男爵、三上参次博士、荻野由之博士、田中義成博士、喜田貞吉博士それに文部省から二名の計七名でした。博士らは、私の知る限りいずれも現代にまでその名をとどろかせる優秀な歴史学者です。そして問題の教科書の執筆者は喜田貞吉博士でした。
 藤沢元造代議士は、この件で、つぎのような質問案を作成しました。

1.神器は虚器にして皇位と没交渉なりや
2.足利尊氏は反逆の徒にあらざるか
3.勤王の諸氏楠、新田の諸公は忠臣にあらざるか
4.文部省の編纂にかかる尋常小学校用の日本歴史は国民をして順逆正邪を
  誤らしめ皇室の尊厳を傷け奉り教育の根底を破壊する憂なきか
 かなり文部省に対する挑戦状の性格をもち、感情的な文面です。さすがに藤沢元造代議士もやりすぎであると感じたのか、実際には4番の内容のみを質問案として提出したようです。これに対して責任大臣の文部大臣は、質問撤回を懇願したとあります。決意の堅い藤沢元造代議士に手を焼いた政府は、策を弄してついに代議士を辞職に追い込み、ようやくこの件をおさめたそうです。
 しかし、この件が引き金となり、全国に政府追求の世論が沸騰している。という所で、『南北朝正閏論纂』の著者は結んでいます。その後それが彼らの意としない方向に悪用されていった過程は、当時の彼らは、知る由もありませんでした。
 

著作:藤田敏夫(禁転載)

 

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