虚構の義賊国定忠治伝(4)
「群馬県を代表する人物は?」と群馬県内でアンケートすると、福田さんや中曽根さんをぶっちぎりで引き離して「国定忠治」がトップになるそうです(この資料は古すぎるので後日HPから削除予定です)。群馬人資質というのがありますが、まさにその典型が国定忠治と、群馬県民は一応に感じるようです。昔わたしが都内で働いていた頃、練馬区のある乾物屋さんに国定村から嫁に来たという若い女性がおりまして、みんなから「国定」と呼ばれていました。上州弁まるだしの大声で客をどなりつける豪傑女性でいつも明るく、だれからも好感をもたれるタイプの人でした。上州弁は、ヤクザ言葉の発生源になっていますので、女性が上州弁まるだしでしゃべると、女親分ではないかと疑いたくなるほどすごいものがあります。私が子供の頃、女性は全て自分の事を「オレ」、相手の事を「オメエ」と呼んでいました。悪気無く相手を「テメエ」と呼ぶ事もありました。東北地方の一般的な使われ方ではありましたが、とくに上州弁では極端に男言葉と女言葉の違いが少なかったように思います。女性が社会進出し、しかも男と対等に扱われていた事を意味するように感じます。
さて百々村の紋次親分に杯をもらった長岡忠次郎はただのチンピラから本物の渡世の世界に入っていく事になりました。とにかく上州は賭博の盛んな地域でした。これはカカア天下と言われたこの地域の特徴でもありました。上州は絹織物の盛んな地域で、どこの農家も養蚕が主体でした。養蚕にしろ機織りにしろ、それは通常女性が中心の仕事でしたが、時間単価の高いその仕事は過酷な男の人足仕事よりもはるかに率が良く、どの家でも最大の稼ぎ頭は主婦でした。つまりカカア天下とは、働き者の主婦を意味し「うちのカカアは天下逸品」という意味だったのです。相対的に男は働かなくなり賭博でもやって遊ぶ毎日になりました。これが上州に賭博が盛んになった主因と思われ、現在でも桐生競艇、伊勢崎オート、高崎競輪など町ごとにおおきな公営ギャンブル場があるという、極端なギャンブル県となっています。これは隣接する長野県には公営ギャンブル場は一ヵ所しかない事を考えると偶然とは考えにくいものがあります。またパチンコ機械の大手4社のうちの3社が桐生市にありパチンコはすっかり換金を目的にする大衆ギャンブルと化してしまったのも偶然の事ではありますまい。
百々村の紋次親分の舎弟分になった長岡忠次郎はその3年後の文政13年(1830年)、病死した紋次の後を継いで21歳にして百々村一帯の親分となりました。これは全く異例の大出世でして同業仲間から注目を集めました。これは天保年間の始まりの年でもあり、長岡忠次郎は江戸時代のひとつの頂点でもあった文化文政時代に青春時代を送り、最悪の時代でもあった天保年間に名を馳せた事になります。これは後の忠次郎の運命決定に大きく作用しました。ゆとりのあった化政時代に栄えたギャンブルも、天保年間の低迷期には違法な私設ギャンブルの取締が活発になり、追いつめられた博打打ちの行き着く先は、ゆすりたかり強盗という最悪のコースしかありませんでした。やがて長岡忠次郎も、この大きなうずに呑み込まれていく事になります。
著作:藤田敏夫(禁転載)
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