奇将足利尊氏:第11話【湊川の戦い】

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もはや尊氏に迷いはなかった。上皇の院宣を片時も離さず胸元にしまい込み、海路兵庫の浜、湊川に向かって軍船を進めていた。上陸作戦を援軍すべく陸路を行く足利直義らも、足利尊氏の上陸予定地に向かって兵を急がせていた。
延元元年5月25日。新田義貞、楠木正成らが待ち受ける湊川に、瀬戸内に溢れかえるほどの足利軍の大軍船が押し寄せた。
源平の合戦のおり、源氏を統率する陸の源義経軍に、海上の平家軍が惨敗したあの壇ノ浦決戦を足利軍の多くの武将たちが連想し、激突を前にわずかなためらいを感じていた。それを見抜いたかのように、新田軍の中の弓矢の名人、本間孫四郎の放った一本の鏑矢が足利軍の軍船めがけて飛んできた。孫四郎の矢は海中で獲物を捕らえ飛び立つ瞬間の海鳥に命中し、そのまま大内軍の軍船の上に落ちたのだった。

敵味方なく感嘆の声が上がり、足利尊氏は、「あの弓矢の者の名は何と申すか」と側のものに問い掛けた。するとその答えのかわりに本間孫四郎の放った次の矢が、遠く足利尊氏の乗った軍船まで届き、ふたたび足利の軍勢から驚きの声があがる中、「殿、この矢には本間孫四郎の名が刻んでございます。」と側のものが尊氏に伝えた。
もちろんこれは、あの扇の的の那須与一を真似たものであった。足利軍の士気を削ぐ目的であることは誰の目にも明らかだった。「誰か、これをあの浜まで射返す者は無いのか。」尊氏の苛立った声が響き、やがて尊氏の軍船からあまりに短く海上に落ちる矢が飛ばされた。失笑に恥を知る足利軍の武士たちが、強行上陸を試み、ついに歴史に残る湊川決戦の火蓋は切られた。

和田岬より上陸する足利軍を追う形で新田主軍が東へ移動し、楠木軍の陣営からわずかに離れ出した。楠木軍は陸路より攻めかかる足利直義らと対峙し、動きが取れなかったのだ。
やがて足利尊氏の本体も、この楠木新田両軍の間の、わずかな間隙をついて、ほぼ中間地点に上陸することに成功した。ますます孤立し、海陸両軍から挟み撃ちになった楠木正成は退路も断たれ、もはやこれまでと覚悟を決め、弟の楠木正季(まさすえ)と自害の場所を探した。
「なあ正季よ、ひとは死に望んで最後に希望した来世に生まれ変われるそうだが、おまえはどの世界に生まれ変わりたいか。」
正成は、さみしそうな薄笑いを浮かべ、正季に語り掛けた。
「兄上、正季は来世など望みませぬ。七度おなじ人間に生まれ変わって朝敵と戦いたく存じます。」正季は、覇気を失ったように語る楠木正成に、はき捨てるように言い放った。
「成仏を望まぬなどとは、罪深い妄念だな。しかし・・・」
と言いかけて楠木正成は一瞬言葉を止めた。そこには次に言うべき言葉の無常さを、あらかじめ知っている男の無念さがあった。
「わしも同じ事を思うぞ、正季。しからば、早々に生まれ変わって本懐を遂げようぞ。」
邪気となってでも、七度生まれ変わりたいという正季の無念は、楠木正成のものでもあった。思えば後醍醐天皇に忠義を尽くそうとすればするほど、公家社会の汚さに振り回されていた正成であった。足利尊氏の平定する平穏な時代に、静かにまつりごとを取り仕切る後醍醐天皇と、そばにかしずく正成の姿を一瞬夢見たときもあった。いまはすべて手後れとなった。
やがて兄弟相果てた楠木軍は、大きな戦の波の中に飲み込まれるように消えていった。
怒涛の足利軍は、留まるところを知らなかった。京都の防衛のため退いた新田義貞軍を追い、ふたたび入京することに成功したのだった。
 

著作:藤田敏夫(禁転載)

 
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