源平の合戦のおり、源氏を統率する陸の源義経軍に、海上の平家軍が惨敗したあの壇ノ浦決戦を足利軍の多くの武将たちが連想し、激突を前にわずかなためらいを感じていた。それを見抜いたかのように、新田軍の中の弓矢の名人、本間孫四郎の放った一本の鏑矢が足利軍の軍船めがけて飛んできた。孫四郎の矢は海中で獲物を捕らえ飛び立つ瞬間の海鳥に命中し、そのまま大内軍の軍船の上に落ちたのだった。
敵味方なく感嘆の声が上がり、足利尊氏は、「あの弓矢の者の名は何と申すか」と側のものに問い掛けた。するとその答えのかわりに本間孫四郎の放った次の矢が、遠く足利尊氏の乗った軍船まで届き、ふたたび足利の軍勢から驚きの声があがる中、「殿、この矢には本間孫四郎の名が刻んでございます。」と側のものが尊氏に伝えた。
もちろんこれは、あの扇の的の那須与一を真似たものであった。足利軍の士気を削ぐ目的であることは誰の目にも明らかだった。「誰か、これをあの浜まで射返す者は無いのか。」尊氏の苛立った声が響き、やがて尊氏の軍船からあまりに短く海上に落ちる矢が飛ばされた。失笑に恥を知る足利軍の武士たちが、強行上陸を試み、ついに歴史に残る湊川決戦の火蓋は切られた。 |