奇将足利尊氏:第9話【多々良浜】
後醍醐天皇をはじめとする京都の公家達にとっては、まさに悪夢のような出来事だったが、ようやく足利尊氏を追い、元の平穏な日々が戻ってきた。新田義貞は、新しい妻を迎え、北畠顕家は京都市中が平穏になったのを見届けると、奥州の異形と呼ばれた地侍達を引き連れて帰っていった。
さて戦いに敗れた足利尊氏は、瀬戸内海を西へと流れ、九州は筑前多々良浜に到着した。その間、四国の勢は国々に帰し、また途中家臣達を京都からの追っ手に備え、備前児島や讃岐などに配置したため、多々良浜に到着した頃には、わずかな手勢が残るのみだった。
疲れで戦う気力も失っている足利尊氏の元に、宗像大宮司の使いの者が訪れた。宗像神社では、先の後醍醐天皇による不平等な恩賞で領地を失った不満があり、足利尊氏に好意を持っていたのだった。
「わたしどものところは場所も狭く、軍勢が休息するには窮屈ではありますが、どうぞいらしてください。しばし体を休め、九州各地に軍勢催促のご教書を書かれてはいかがでしょう。」
この言葉に救われた心地の足利尊氏は、早速わずかな勢と一緒に宗像神社に向かった。
しかしここでも尊氏に休息の時間は訪れなかった。翌朝尊氏は、若武者の甲高い声で目が覚めた。三百の家臣とともに、いちはやく駆けつけてきた小弐妙恵の若き嫡子小弐頼尚(しょうによりなお)であった。小弐頼尚は、はじめて出会う尊氏に興奮した声でまくしたてた。
「わが小弐軍は、新田方の菊池武俊と互角に戦っておりましたが、父の命で大半の家臣を引き連れて将軍の警護にはせ参じました。だが無念にも菊池の勢に待ち伏せされて大半を失ってしまいました。残されたわずかな人数では父の砦も長くは持たぬと思われます。実に残念でなりません。」
小弐頼尚は、まぶしいほどの若武者だったが、この経験の浅い若者にも百戦錬磨の菊池武俊軍は容赦がなかった。全軍が総崩れとなる中、命からがら宗像神社まで逃げ延びてきたものだった。すでに少勢で守る少弐の砦は落ちたことだろう。再起を誓って九州まで落ち延びてきた足利尊氏は深い絶望に溜息をついた。
「兄上、勝負は時の運、やってみねばわかりますまい。この直義、およばずながら先陣つかまつります。」
足利直義は、あいかわらず気の短い男だった。わずかな手勢をひきつれて、多々良浜にあふれんばかりの菊池軍に突入していこうとしていた。社壇の前を過ぎようとしたとき、一羽の烏が直義のかぶとの上に杉の葉を一枝落としていった。これぞ吉兆と感じた直義は、その小枝を袖にさし、ついに多々良浜の戦いの火蓋は落とされた。
足利直義の決死の突入は、磯の波を蹴散らし、その轟々たる響きに、さしもの菊池軍も、一瞬ひるんだ。その一瞬を足利軍は見逃さなかった。あとづさりをはじめた菊池軍の本陣めがけてひたすら追った。大軍とはいえ、その大半は日和見に集まっていた武士達の集まりであったので、この一瞬の優劣の逆転を見て取った連中は、雪崩の如く足利軍に寝返り始めた。足利直義の電光石火の逆転勝利だった。
著作:藤田敏夫(禁転載)
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