世良田氏の謎解きに挑戦(10)

前 戻る

《家康はどうして新田徳川を名乗ったか》

徳川家康は、松平姓から徳川姓にする時、その根拠として、遠い祖先が三河に土着した新田一族の得川氏だったからとしています。そしてその家柄は源義家の流れを組む清和源氏の嫡流であるとし、天下を手中にした際に征夷大将軍の地位を得たのです。
そこで世良田氏の謎解きの締めくくりとして、なぜ家康が徳川を名乗ったのかという歴史考察を行ってみようと思います。

《考察その1:今川での影響》

家康は、その成長期を今川家で過ごしたいわば今川家臣のようなものでした。今川家は足利支流の名門でしたから、血筋を重んじる教育をうけた家康は家系もハッキリしていない三河土農あがりの家柄として、常にコンプレックスの塊でした。
では、今川での歴史教育とはどんなものだったのでしょう。まず今川家の血筋の正しさを語るには武家の頭領としてふさわしいのは清和源氏の末裔であることを基本としました。そして八幡太郎義家公、源頼朝公、足利尊氏公と今川家ゆかりの名将について学ぶとともに、その当時の歴史背景を今川家の武勇伝をおりまぜ教育したのです。今川家の名を落とすような歴史的事実はありませんので、ほぼ正統史に近い教育をおこなっていたはずです。そして歴史の真実味を深める為に味方の失敗談やら敵将といえどあっぱれな者は勇者と称え教えたのです。平家しかり、源義経、木曽義仲しかり、そして新田義貞も。新田と足利がもともと同族であった事実も当然教えられました。

《考察その2:足利一族の系図はすべて完璧に存在していた。》

今川家にとって、自家の優秀さを示すのは、血筋の優秀さしかありませんでした。そして足利家没落の後は我が家こそが将軍家を継ぐのにふさわしい家系であることを誇っておりました。そのよりどころは系図でしかありません。そのためにも、足利一族のすべての系図を保存して、ことあるごとに家臣達に覚え記憶させました。どのような小さな支流といえど書きしめしてありましたので、足利家に関してはその末流に至るまで系図の偽造など不可能でした。...と、家康は感じたのです。実際には完璧な一族の系図作成など絶対に作成不可能なことでしたが、比較的正確に残されている系図に、創作をくわえてもっともらしくなっている今川家の足利一門家系図をみて、当時疑う者などなかったのです。家康もふくめ。

《考察その3:吾妻鏡に三河守の名が》

ここで世良田氏の話と、徳川家康のコンプレクスとがドッキングします。詳しくは『世良田氏の謎解きに挑戦(4)』に書いたとおり。見つけたのが徳川家康自身なのか、今川家の教育係からの入れ知恵だったのか、いずれにしても家柄コンプレクスの徳川家康にとってまさに救世主のような本だったことでしょう。もし深く追求していたなら、吾妻鏡の「徳川」ではなく、新田郷に残る「得川」や「世良田」を家名に採用し、後代の研究者に疑われない工夫もできたでしょうが、まあこの時の徳川家康には、そこまでの深慮は無かったのでしょう。

《考察その4:新田一族はほぼ壊滅的に行方知れずだった。》

少なくとも、今川において新田家のその後などわかろうはずがありませんでした。新田の血筋の正しさも、いやというほど知らされていた家康にとって、足利家以外で血筋の正しいのは新田家しかないと思えました。しかも新田義貞活躍のころの系図はある程度わかっておりますので、新田の末裔の系図を偽造することは比較的楽な事です。新田本流は足利尊氏により絶滅させられたとなっていますので、新田そのものを名乗るのは、つけこまれるすきをあたえます。支流のなかでも、新田初代から分家していった得川家なら、多少もっともらしいし、本流滅亡後は得川こそが正統新田氏と考えることが可能です。得川家など南北朝の初期まで名が現れているものの、その後の歴史など完全に史上から消えています。しかも、この血筋なら主張の仕方では今川家よりはるかに上の立派な血筋であり、源氏宗家を主張することすら可能です。したがって「わが家にのこる正しき伝承によると..」という前提で、わが家の祖は流浪の末に三河に土着した得川宗家であると主張したのです。

《考察その5:将来どう転んでも有利。》

もし将来、今川家が天下を治めた場合、新田嫡流として今川家から認知をもらい、今川の家風である血筋の優位性から、大大名の座を確保することが可能になります。もし、今川家と対立し、戦闘をおこなわなければならなくなった場合、祖新田家の仇討としての大義名分が成立し、戦いを有利にすることが可能になります。もしも...もしも天下が狙える程の実力がえられたならば、清和源氏の末裔であることが、かならず役にたつはずです。そして事実そのことが将来かれの威厳を高める為に大いに貢献したのでした。
 

《完》

 
以上で『世良田氏の謎解きに挑戦』は終了です。皆様の感想をお待ち申し上げます。
 

著作:藤田敏夫(禁転載)

 
前 戻る
 

足利尊氏のホームページに戻る