【鎌倉滅亡悲話(11)北条高時の場合】
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(第8話:長崎高重より続き)
「大殿様、長崎高重でござる。」
外の戦が嘘のごとく静寂に包まれていた東勝寺の境内に、無頼で名高い長崎高重の大声が響いた。その声を聞きつけた長崎円喜が走りよってきた。
「おお高重、戻って参ったか。あまりに遅いので、得宗殿との約束を違えて冥土に先駆けしたかと思っておったぞ。いかがであったか。もはや腹切り時か。」
祖父の言葉にかしこまった長崎高重は、さればと北条高時の側まで近づいて行った。本来なれば、祖父からも疎んじられていた礼儀をわきまえぬ長崎高重は、昇殿する事すら許されぬ立場であったが、いまはかえってその無作法が、このうえもなく頼もしい鎌倉武士に見えるから不思議であった。
北条高時も、この騒がしい家臣を心待ちにしていた。
「高重、待っていたぞ、さあ、はよそなたの武勇を語れ。冥土のみやげ話をこの高時に分けてくれ。」
長崎高重は、その言葉に、待っていたとばかりに流暢に身ぶり手振りを交えて話出した。
「敵の大将、新田義貞を見つけて組み倒してやろうと、敵の陣奥まで攻め行ったが、それらしき者に出会わぬ間に敵の雑兵共に取り囲まれてしまいました。あのような雑魚供は、太刀のひと振りで10人は切り殺し、ざっと見ても四、五百は切り捨てましたでしょうか。それにしても大将を何とか見つけ切り刻んでやろうと思っておりましたが、大殿様との約束の刻限とあきらめて帰ってまいりました。」
北条高時は、楽しそうにその武勇伝を聞いていた。
「さ、冥土のみやげ話も尽きたれば、一同方々、自害の見本をお見せいたしまする。わしに習って続きなされい。」
長崎高重は、こともない事のように言うと、北条高時の杯を拾い上げ、弟の長崎新右衛門に酌をさせて飲み干し、北条高時の隣に座す重臣の摂津道準(せっつどうじゅん)の前にその杯を置くと、いきなり手に持った太刀を腹に突き立て、その腹に手をいれてはらわたをつかみ出し、
「さあ、これを肴に飲み干しなされ。」
とだけ言って果てた。
「おお、これは何というもてなしじゃ、このような心のこもった肴でもてなされた酒は初めてじゃ。」
摂津道準は感涙しながら杯の酒を飲み干して、諏訪直性(すわじきしょう)に渡すと同じく腹を切った。諏訪直性は、渡された杯をしずかに傾けると、腹を十文字に切って、その刀を長崎円喜の前にさしだし果てた。長崎円喜はと皆が見つめると、北条高時の事が気にかかるのか、腹を切るのをためらっている風であった。長崎高重の弟の長崎新右衛門は、今年15歳の若輩であったが、この様子に長崎円喜の前に進み出ると、ごめんと一言いって、その太刀で祖父の円喜を二突きし、自分の腹も切ると重なるように果てた。この様子に覚悟を決めた北条高時は近くの安達時顕とともに腹を切って果てた。あとは八百人もの東勝寺を埋めた家臣達が次々と自害して果て、見るも無惨な地獄絵が広がって行った。元弘三年五月二十二日。北条氏滅亡の瞬間であった。
 
著作:藤田敏夫(禁転載)
 
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