【鎌倉滅亡悲話(1)常葉前の場合】 |
北条高時の弟、北条泰家の家臣に諏訪盛高という人物がいた。諏訪盛高は鎌倉になだれ込んだ新田軍と奮戦果敢に戦ったにもかかわらず、自軍全滅となり、北条泰家の元に戻って来た。 「殿、無念ですが、もはやこれまでです。ぜひ殿の死出の伴をと願い戻ってまいりました。」 そう言うなり、諏訪盛高はその場で腹を切って自害しようと太刀の刃を腹にあてた。すると北条泰家は、それをとどめて不思議な事を言い出した。 「盛高、おぬしの忠義、この泰家感じいったが、実はそなたにぜひ願いたい事がある。いや、そなたでなければ頼めぬ事であろう。これは武士にとっていさぎよく自害するよりつらい仕事だ。まもなく鎌倉は滅亡する。しかし北条を絶えさせてはならない。何としても甥の亀寿丸をつれて、敵から隠れ、寝返った兵士を装ってでもこの鎌倉から連れ出してくれまいか。万寿丸はすでに五大院に任せてあるが、おぬしには亀寿丸を救ってほしいのだ。」 北条泰家は、兄高時の子を鎌倉から脱出させて、いずれは北条が幕府を再興する時が来る夢を見ながら果てたいと願っているのだ。 鎌倉武士にとって敵に背を向けて逃げる事ほど屈辱的な事はなかった。北条泰家の言う事は、諏訪盛高に死ねと言うよりよほど残酷な願いだった。 「わかりました。後の事は考えますまい。とにかくも全力を挙げて亀寿様をお守りいたします。」 そう言うと、諏訪盛高はさっそく亀寿丸のいる扇ヶ谷(おうぎがやつ)に出かけて行った。 諏訪盛高がただならぬ形相で尋ねてきたのを見た亀寿丸の母親の常葉前は、こおどりして喜んだ。 「これは盛高殿ではありませんか。今朝がた、五大院殿がまいられて、兄の万寿丸をいずこかへ隠すといって連れていったのですが、この弟の亀寿丸の事をどうしたものかと思案していたところです。」 「安心めされよ。亀寿様は、この諏訪盛高が一身にに変えてお守り申し上げる。」 と、言いかけて諏訪盛高は、言葉を飲み込んだ。 (女の身なれば自害もできまい。やがて敵に捕まり亀寿様を諏訪が逃がしたと口をすべらせぬとも限らぬ。そうなれば源氏の者どもは地の果てまでも北条の血筋を追って来るに違いない。) 諏訪盛高は、心を鬼にすると、心にもない事を告げた。 「これはお局様には、なにか誤解なさっていらっしゃる様ですが、万寿様におかれましては、逃げおおせずに敵の手に落ちてすでに果ててございます。この鎌倉から逃げるなど不可能な事でございましょう。盛高は、北条の嫡男となられた亀寿様が草むらにおびえ隠れている所を敵に見つかり恥辱の中に果てて、後の世まで北条の名を辱めることのないよう、これより大殿様の冥土の旅路にご案内申そうと連れに参ったものでございます。」 それを聞いた常葉前の顔から血の気が引いた。 「そのような理不尽な。まだこんな幼子を。」 泣き叫ぶ女官達を振り切って諏訪盛高は、亀寿丸を馬上につかみあげると、 「武士の家に生まれた者は、このような時の覚悟は出来ておりましょう。大殿様もいっしょに腹を切ろうとお待ち申しておりますれば、いざごめん。」 と冷たく言い放ち、馬にムチを入れて走り去ろうとした。わっと泣き叫び後を追う常葉前に、振り返らずに諏訪盛高は、ひたすら馬を走らせた。 (お許し下されお局様。亀寿様は諏訪大明神の名にかけても必ずや諏訪一族がお守り申し上げますぞ。) 馬上で諏訪盛高は流れる涙を拭おうともせず心に叫んでいた。追いすがろうと走った常葉前は、その場に転び、やがて視界から消え去る亀寿丸の馬をなすすべもなく見守るだけであった。 「もはや・・・」 細くつぶやいた常葉前が、近くの古井戸に身を投げて果てたのはそのすぐ後であった。 諏訪の屋敷に到着すると諏訪盛高は、忠実な家来たちを集め、事の子細を打ち明けた。 「これからわしは亀寿様を連れ奥州に落ち延びて北条再興の機会をうかがおうと思う。南部太郎と、伊達六郎の二人は奥州の地理に詳しいので、案内いたせ。他の者はわしが自害して果てたと見せかけるためにこの屋敷に火を放ち、この場で一同自害してほしい。いかがか。」 諏訪盛高の言葉は気迫に満ちていた。 「殿、案ずるにはおよびませぬ。我ら武人の鏡と崇められた諏訪の武士。殿の本懐の為に喜んで果てましょうぞ。」 家来達は、涙ながらに諏訪盛高の前に手を付きうちふるえながら言い放った。やがて屋敷に火がかけられ、家来達の叫ぶ声が屋敷中に響いた。 「殿ははや自害なされた。者ども殿の死出の旅に遅れるまいぞ。」 次々と炎に飛び込み果てる家来達の中を、新田の手負い兵に化けた諏訪盛高と南部太郎、伊達六郎が亀寿丸を隠した武具を抱えて屋敷から密かに脱出した。 鎌倉をようやく脱出した諏訪盛高は、炎に赤く染まる鎌倉の方角にひれ伏して男泣きに泣き崩れた。 「お局様、はたまた忠義の家来衆よ。いかに亀寿様をお守りいたそうとする一心とは申せ裏切る由もない方々を欺いた盛高の罪、いずれ地獄界にて償いまする。」 やがて鎌倉を遠く離れ、奥州とは方角違いの信州諏訪の地へ向かう諏訪盛高一行の姿は哀れであった。その身にやがて訪れる数奇な運命をも知らず。 |
著作:藤田敏夫(禁転載) |
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