虚構の義賊国定忠治伝(1)

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 もちろん国定忠治(くにさだちゅうじ)とは、あの講談『赤城の山も今宵限り・・・』で知られた国定忠治のことです。
といっても、最近、そのお話そのものを知らない方が多そうですので、最初に国定忠治の物語について、一般に知られているストーリーを書いてみます。ここで私は「虚構」と断じているものの、実をあかせば熱狂的な講談の中の国定忠治ファンでして、悪の世界にいること自体が悪であるという考えに基づけば、たとえどんなに義賊ぶってみたところで、悪人であることには変わりないのではありますが、虚構の中の国定忠治は、実に爽快で義理人情に厚く、強いあこがれを感じてしまうのであります。
講談の中の国定忠治は、江戸末期の上州(群馬県)国定村に生まれ、やくざの世界に身を投じますが、領民を苦しめる代官を義憤に燃えて殺め、追っ手を逃れて赤城山の山中に子分達と身を隠します。ここも危うくなると、つてを頼って信州に逃れ、旅の途中に数々の美談を残し、上州に戻ったところを捕らえられ、処刑されます。
国定忠治の物語は、講談となって、現在に語り継がれております。 最近100円ショップで、広沢虎三の語る講談話がCDになって売られているのを発見いたしました。 また歌手の北島三郎さんが国定忠治の事を演歌で歌っているようで、そちらのファンの方からのお問い合わせも、ときどきいただきます。
国定忠治の墓は、JR両毛線国定駅の近く、天台宗金城山養寿寺の境内にあります。入り口の「国定忠治の墓」の案内を頼りに山門を入ると「国定忠治遺品館」という部屋が本堂脇にあります。残念ながら私は平日に行ったためか締まっていました。本堂の裏手の墓地を行くと、その奥に国定忠治の墓があります。赤錆びた鉄枠に保護された小さな墓石は、痛風に効くとかその道のプロが賭博にご利益があるなどとあやかって削り取るために、丸くなって表面の文字もほとんど判読不能です。その隣には巨大な石碑が立てられていて地元の人達が、いかに郷土の誇りとしているかがうかがえます。
国定忠治は、本名を長岡忠次郎と言いまして、このあたりは旧新田領で太平記で活躍した新田一門の長岡氏が出ていますから、たぶん私の予想が当たっていれば国定忠治は新田一族の子孫で、清和源氏という由緒正しい家系という事になります。国定忠治の墓の回りは、この長岡氏の墓石があちらにもこちらにも、いっぱいありました。良くみるとそのいくつかの石碑には、国定忠治との関係を示す系図やら、家系の話やらが彫られていて、ちょっと変わっていました。
 さてこの国定忠治という人物、名は全国に知れ渡ってはおりますが、その実何をおこなった人物なのか、皆様ご存知でしょうか。本当に講談にあるような義賊だったのでしょうか。これからしばらく私見を交えてご紹介してみようかと思います。
 

著作:藤田敏夫(禁転載)

 
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