【鎌倉滅亡悲話(12)北条信忍の場合】
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北条信忍(しんにん)は、北条基時として六波羅北方探題も務めた事のある人物であったが、今は出家隠居し、法名信忍を名乗り一線から退いていた。鎌倉の一大事に挑んで隠居場からわずかな老臣達を伴って化粧坂の軍に援軍しようと支度を急いでいた。
「もうご奉公も無かろうと思っていたが、この有り様では、お味方も苦戦しておろう。我らとて何か役に立たぬともかぎらん。者ども、いそごうぞ。」
北条信忍に若き頃より仕え、ともに鍛えあった仲の気心も知れた家臣達は、この老将と一心胴体であった。北条信忍に言われるまでもなく、支度をしていた。しかし老体にむち打ち化粧坂に出陣しようと意気をあげているところに、化粧坂陥落の報が届けられた。すでに鎌倉を防ぐ全ての谷は敵の手に落ち、惨状は目を覆うばかりであるという。
「なんと、むごいことよ。殿、あの谷で戦っている者どもは皆明日を期待された若党達ですぞ。なぜに我らが生きながらえ、明日ある者達がこのようなむごいことにならねばならぬのか。」
老臣のひとりが寂しそうに呟いた。
「仲時も、あの者達と同じ歳であった。あわれな事じゃ。」
北条信忍は、先の六波羅探題滅亡の際に討ち死にしたわが子、北条仲時の事を想い、はらはらと涙を流した。
『まてしばし、死出の山辺の旅の路、同じく越えて浮き世語らん』
北条信忍は、ゆびさきから絞りだした血で柱に一首したためると、家臣達と静かに果てた。
 
著作:藤田敏夫(禁転載)
 
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