【鎌倉滅亡悲話(8)長崎高重の場合】
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長崎次郎高重(ながさきじろうたかしげ)は内管領(ないかんれい)長崎円喜の孫にあたる武士であった。内管領の家系であるのに武家の礼儀が身につかず、粗野に振る舞う事が多く、長崎円喜には、頭痛の種であった。長崎高重の姿を見つけては、つい小言を放つ毎日であった。
そんな長崎高重が久米川の戦いに初陣し、新田軍と果敢に戦って戻ってきた。
「内管領殿、久米川と申す所、田舎ゆえ、なにもみやげにする物がありませんでした。やむなく敵の首のやっつここのつばかりぶら下げてまいりましたので、お受取りくだされ。」
と豪快に笑う長崎高重は、全身に刀傷を負って痛々しかった。負け戦で消沈している北条高時や祖父の長崎円喜を少しでも慰めようとの心遣いだった。長崎円喜は、思わず長崎高重に走りよると、そのうみをはらんだ傷口の血を吸い涙ながらに長崎高重を誉め讃えた。
「おお、高重よ。正直申してこの円喜、そなたの力量を疑い、人の上に立つ力はないと誤解しておったが、なんとも頼もしいこの姿よ。いままでの辛い仕打ち、許せよ。」
もったいないお言葉と、長崎高重も男なきにひれ伏した。ちょうどその時、京よりの早馬で、六波羅滅びるとの知らせが入った。
「なんと、むごいことよ。このうえば早々に新田の軍勢をけちらして大軍を京へ進めましょうぞ。」
長崎高重は、力強く言い放つと、再び戦場に走り去った。
「者ども、かかれい。」
長崎高重は、わずかな軍勢の先頭に立ち果敢に突撃を繰り返した。しばらく戦ったのちに、東勝寺の北条高時のもとへ帰り、高時に進言した。
「大殿様のご尊顔を拝すも今日を限りとお名残に参りました。この長崎高重が戦っているうちは鎌倉もご安泰にございます。」
「高重、それは心強い。たのむぞ。敵をけちらしてくれよ。」
北条高時は、うれしげに声を返した。長崎高重も、さも面白げな話をするかのように高笑いしながら言った。
「この高重、冥土のお供の土産話を作りに今一度敵と戦って参ります。それまでは間違っても敵の流れ矢などにあたって、高重が冥土の供を置いていかないで下され。」
「わかったわかった、自害せねばならん時が来る前に必ず戻って参れよ。」
北条高時の言葉に、不覚にも思わず涙を落としてしまい、慌てて名馬「金貝」に飛び乗り、さらばごめんと声をあげると長崎高重は、再び敵の中に飛び込んでいった。
「これが最後のご奉公になるに違いない。しかし、なんという事だ。われは祖父の内管領殿のしつけにことごとく逆らい、武士のたしなみのなんたるかも身につけていない。この様なとき、武士はどうあるべきか。」
長崎高重は、馬を禅寺の崇寿寺(そうじゅじ)にむけた。寺の南山和尚は合戦の鎌倉にあってもなお、取り乱す事無く、このいくさ支度の若者を迎え入れた。
「和尚、教えてくだされ、勇士とはどのような振る舞いをすべきものなのか。」
すると、この血気はやる若者を見つめて和尚は禅僧らしい返答をした。
「むやみに剣を振り回して突入するのが勇士とはいえぬ。」
長崎高重は、すべてを悟り和尚に礼を言うと寺を出た。門前で引き連れた兵を集めると、笠印や三鱗の北条の旗を捨てさせ、自らもそれとわかる飾りの付いた刀の鞘を捨て静かに行進を開始した。不審げに家臣が理由を尋ねると長崎高重は、悠然と歩む馬上で高笑いしながら答えた。
「頭を使えという事だ。敵の軍は大軍といえども所詮昨日今日の寄せ集め集団。となりを歩く者がどこのだれのとわかろうはずはない。このまま敵の中に紛れ込み、一気に敵の大将新田義貞の首をはねてやろうという算段だ。」
「しかし、殿、それは卑怯者の策略でござる。一国の殿がなされる手段ではありませぬ。武士は名を挙げ堂々と正面から戦ってこそ後の世に高名が伝わる物、卑怯な手段で勝っても名は挙げられませぬ。」
果敢に戦う長崎高重に惹かれここまで付いてきた家臣は、さも不満そうに言った。しかし長崎高重は一向に構わず敵の軍勢の方角に進んだ。
「いくさと言う物は、いずれにしても醜い物。いかに戦おうと、ただの山賊ひとごろしとやる事は同じである。いま、わしは南山和尚に、そう教えられたのだ。そんな醜い者のたたかいに、なんで形など要ろうか。ようは敵の首を取るだけ。それがいくさの全てよ。名など残る必要もない。」
新田軍の囲いに長崎高重以下の郎党は安々と侵入することが出来た。何気ないそぶりで慎重に長崎高重は新田義貞のいる本陣に近づいていった。新田義貞は体勢の決まりかけた鎌倉市中の本陣で、次々と報告される戦勝の知らせに悦に入っていた。あとは北条高時の首を家来達が運んでくるのを待つばかりであった。長崎高重は油断する新田義貞のすぐ近くにまで到達した。しかし、義貞の側近の由良新左衛門がこの不審な一団をめざとく発見した。
「やや、あそこに旗ももたずに近づいてくる一団は、乱暴者で知られた長崎高重ではないか。一度鎌倉の大道で大喧嘩をしていたのを見た事がある。間違いない。者ども、あの連中を一人残らず捕らえよ。刃向かう者は切り捨てよ。」
新田の陣は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「やむなし。者ども散れ。敵の兵にまぎれて混乱させよ。目指すは敵の大将の首ぞ。必ずや討ち取るべし。」
兵は長崎高重の号令で四方に散った。敵味方の区別の付かなくなった陣は大混乱となり随所で味方同士の相打ちが始まった。
「なにをしておるか。笠印の無い者がすなわち敵なるぞ。笠印の無い事こそ敵の印と思え。」
由良一門の長浜六郎が叫び、新田軍はその指示にしたがい、笠印の無い者にむかい攻撃した。もはやこれまでかと、長崎高重は、馬上で名乗りをあげた。
「やあやあ、われこそは桓武第五皇子が末裔、長崎円喜が嫡孫、長崎次郎高重なるぞ。名をあげたいと思う者は、いでよ。」
そうして馬から飛び降りると太刀を鞘におさめて両手を広げて、そこかしこの敵を投げ倒した。
「殿、そのような事をしている場合ではござらぬ。もはや東勝寺の門前にまで敵は近づいた様子でござる。はやく大殿様の元へ急ぎくだされ。」
家臣が長崎高重に告げると、おおそうであったと大声を出した長崎高重は、慌てて馬に飛び乗った。
「あやうくここで果てて、大殿様との約束を違えるところであった。」
背を向けて走り去る長崎高重に新田兵からの卑怯者とののしる罵声が飛んだ。
 
著作:藤田敏夫(禁転載)
 
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