【鎌倉滅亡悲話(7)本間山城左衛門の場合】
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「と、殿、お待ち下され、我が本間家は言われ無き蟄居を命ぜられ、家臣一同得宗殿に恨みこそあれ、北条家滅亡が歴然となった今、御奉公を尽くさねばならぬ理由など、どこにも有りませぬ。どうぞこのままお屋敷に留まって嵐が過ぎ去るのをお待ち下され。」
老臣は、いくさ支度をして馬にまたがり閉門のつがいをした正門を蹴り開けて、飛び出そうとしている本間山城左衛門を必死に止めていた。本間山城左衛門は、このひと月ほど前に主君大仏貞直に、ささいな事で嫌疑を懸けられ、蟄居を命ぜられていた。この争乱さえなければ、今ごろは白砂に引き出され、有力御家人つぶしの得宗の魔手にかかり切腹を命ぜられていた事であろう。
「やい放せ、この本間左衛門、嫌疑を懸けられたままの身で敵に寝返ったとあっては末代まで身の潔白を晴らすことがかなわなくなる。」
本間山城左衛門は、家臣を振り切ると戦場の中に飛び込んでいった。
「ものども、殿をお守り申せ。遅れるでないぞ。」
家臣達は、慌てて馬に飛び乗ると、本間山城左衛門が走って行った方角へ向かった。本間山城左衛門が向かったのは嫌疑をかけた主君大仏貞直が防衛する極楽寺坂であった。本間軍勢は蟄居中だった事もあり、数十名の若者だけの頼りないものであった。
「殿、あれをご覧下され、大仏殿の軍が敵の大軍に囲まれております。あれでは救出もままなりませぬな。」
やっと追いついた家臣の一人の若者が息を切らしながら指さした方角では、さしもの猛将大仏貞直の軍勢が、極楽寺坂に陣をはり、稲村ヶ崎から迂回してきた敵軍から、挟み撃ちにあい、窮地に陥っている様が歴然としていた。
「よし、なれば、あの包囲をする敵の大将と思われる軍の大将陣に向かって突入するぞ、臆病風邪をひいていない者は続け。」
本間山城左衛門は、血気にはやっていた。無謀に突撃する本間左衛門の後を追う家臣は、死にものぐるいで我が主人を守ろうとあたり構わず太刀を振り回しながら敵陣の奥深く進んだ。
急襲に、油断のあった新田軍の極楽寺坂攻撃の大将大館宗氏は、そばの刀を手に取る間もなく、陣幕の内側になだれ込んできた本間山城左衛門の家臣にめったざしにされて果てた。突然の大将の敗死に慌てた新田軍は、わずかな数の本間軍に恐れをなしてただ遠巻きに罵声を浴びせるだけで近づく事さえ出来なかった。
本間山城左衛門は、傷つき伏せっていた敵の小兵をひとりつかみあげると、
「この、おぬしの主の名は何と申すか。」
と尋ねた。震え上がりながらも、新田義貞の副将大館宗氏と答えると、
「おお、敵の一方の大将なるか。これは上首尾。」
本間山城左衛門は、化物にとりつかれたかのように、返り血を浴びた顔で、けけけと笑うと、馬から飛び跳ねおり、脇差しでその場に果てる大館宗氏の首をぎこちなく切り割いた。血柱があがり全身を赤く染めた本間山城左衛門は、それでも嬉しげに首を太刀の先にさし掲げると、大仏貞直の陣に向かって走った。修羅の姿にさしもの強者も震い上がり誰一人近づく者はなかった。
大仏貞直の陣幕の前までたどり着くと、その場に座り込んだ本間山城左衛門は、ひとしきり大きな声をあげた。
「多年にわたり仕えて参りました御恩に、いまこそ報い奉りたく、蟄居の身を省みず出で立ちて参りました本間山城左衛門にござる。あらぬ疑いを懸けられたまま屋敷に控えていては末代まで悔いが残ると、参った次第。この敵将の首を忠義の証として、これより冥土の先鋒に参りまする。」
そう言い終わると、血に染まった太刀で自分の腹を何度も掻ききってその場に果てた。
いくさ場は、そののちも修羅場を展開し、敵の首も味方の首も区別つかぬほどころげその中に大館宗氏の首も本間山城左衛門の遺骸も埋まっていった。
 
著作:藤田敏夫(禁転載)
 
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