世良田氏に関する確実な資料は数が少ない事は、これまでのお話でだいたいご理解いただけたと思いますが、その中で徳川氏はじめ、史家が頼った資料である吾妻鏡の記載は、おおよそ一般的に次のように理解され落ち着いております。
得川義季 =徳河三郎義秀
世良田頼氏=新田参河前司頼氏
世良田教氏=参河次郎
この三代のうち『得川義季=徳河三郎義秀』は誤りではないかとする話をこれまでご紹介しました。これまでも同様の疑問を呈した研究家はたくさんいたようです。ここでもその説を支持し、得川義季ではなく、ごく自然な表現として世良田義季と表現しています。しかし徳河三郎義秀なる人物は得川郷を本拠地とした新田一族のひとりであったろうという点そのものを否定する説はないようです。しかし実際にはそれを明言している資料は全く存在しない事はこれまでに述べてきた通りです。整理して述べるならば、徳河氏と世良田氏の関係にかなり疑問があるばかりでなく徳河氏と新田氏の関係でさえ疑問がある。そしてそれはすなわち徳河と三河との関係に疑問がある、という結論に続くのです。 |