奇将足利尊氏:第5話【還幸】

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戦いはあっけなかった。丹波篠村にて立ち上がってより5日目にはもう北条の権力は畿内から一掃されていた。六波羅の壊滅が決定的になると、楠木正成軍を包囲していた千早の幕府軍まで一斉に各々の郷里に引き上げて行った。恩賞目当ての寄せ集め軍にとって恩賞の相手がいなくなった今、楠木正成と戦う意味など無くなってしまったのだ。
一方、倒幕に戦った者達は、それぞれの思惑を持った連合軍であり、統率者があったわけでは無い。それは、おおよそ次のグループにわけられていた。
千種忠顕軍(ちぐさただあき)。後醍醐天皇軍として錦の旗を中心に戦った山陰の勢力を中心とする軍。
足利高氏軍。武家の頭領として源氏の旗にて戦った坂東軍。
赤松円心軍。護良親王の令旨をよりどころに戦った山陽の勢力。
主にこの三軍が思い思いに勝ちどきをあげたのだった。六波羅敗れるの報は三軍それぞれの使者により船上山の後醍醐天皇のもとに届けられた。
「いよいよ御還幸でございますな。この長年、一族あげて盛大に送らせていただきます。」
名和長年は天皇の座する会議の場で得意そうに話した。
「なれど鎌倉はもちろん各地の探題はいまだ健在、京都周辺も安定したとは言えまい。主上はこのままここでしばらくは号令するのが良いのでは。」
天皇とともに隠岐に渡った阿野廉子が口をはさんだ。しかし反対を押し切って後醍醐天皇は京都還幸を決意した。
「最初が肝心である。今回の六波羅攻めは結局伊豆の守の身内の力により成功したもの。この機に主導権を取らねば、単に武家の主の首がすげかえられただけの事に終わってしまう。朕が京都に早急に帰る必要がある。」
後醍醐天皇は、すでにこの時、足利高氏の強大な力を危惧していた。
還幸の行列は華々しかった。ほんの1年3ヶ月前に庶民の嘲笑をあびながら隠岐へ流されたときとは全く違っていた。先陣に塩冶高貞、後陣に朝山太郎、錦の御旗を持ち左に控えるは金持広栄、帯剣の役で右に控えるは名和長年。みな船上山の後醍醐天皇のそば近く警護した名和近辺の武士達である。
兵庫まで行列がさしかかった所で、地元の赤松円心と則祐父子の出迎えに出会った。天皇は感激した。わずかな手勢で、真っ先に挙兵した勇将である。
「恩賞は望み通りにあたえるぞ。」
天皇自ら赤松父子にねぎらいの言葉をかけた。天皇は感激のあまり思わず漏らしたこの言葉が、やがて後醍醐政権を根底から覆す事になろうとは、想像だにしていなかった。
赤松円心が恐縮している所に、関東からの早馬が届いた。何やら関東で重大な事件が起きたとのざわめきの中、使者は羽書を取り出し捧げた。
「何と、相模入道を討ち滅ぼしたとの知らせである。」
使者の文を読み上げた従者が驚きの声をあげた。滅ぼしたのは関東の御家人で新田義貞と言う、そこに居並ぶだれもが聞いたこともない名であった。
途中楠木正成の出迎えをうけ、二条の内裏に到着したのは6月5日の事であった。足利高氏は後醍醐天皇と複雑な思いで初めて出会った。後醍醐天皇の倒幕の目的は武家から政権を取り戻す事。足利高氏の倒幕の目的は腐敗した武家政治をみずからの手で立て直し再建する事。全く正反対の目的がありながら倒幕という一致した目的のために共闘したにすぎなかったのである。足利高氏の苦悩の戦いはこれからであった。
京都には、全国から倒幕に貢献した有力武士団が、ぞくぞく集まってきた。空前の大恩賞の沙汰が言い渡される時が来たからであった。なにしろ北条の領地だけでも全国に膨大なものがあった。それに北条と命運を供にした有力な御内人達の領土も恩賞の対象であった。倒幕に貢献した全ての武士団に大判振る舞いしてもまだ余るほどの量であった。
しかし倒幕の中心勢力だった武士団に恩賞はほとんどなかった。わずかに、足利高氏、新田義貞、名和長年が2国以上の領土を与えられた恩賞だけが目立つ程度であった。「恩賞は望み通り」という天皇自ら言い渡された赤松円心でさえ、せいぜい領土安堵などという、まるで敗北した幕府方への情けのような恩賞があったたけであった。まして配下で活躍した無名の武士団など恩賞の対象からも外されていた。中には北条の一族という事で領地を召し上げられてしまった者まででるほどだった。
北条の領地の大半は千種忠顕、護良親王ら貴族たちに分割された。中には阿野廉子や、ただの女官などといった倒幕とは無縁な者にまで莫大な領地が与えられたりした。不満をぶつける先を持たない各地の武士団は、足利高氏の元へ集まった。
「源氏の旗の元に戦った者達は、はやく殿に鎌倉へ入って新代としての采配を取り各地に号令していただきたいと直訴しております。いかがなされた、若殿。」
高師直は、気の短い男であった。北条にかわり足利が政務を司ると公言してはばからなかった。公家達にはいぶかしがられた高師直も、地方武士には、すこぶる人気があった。諭す高師直の言葉には直接答えず高氏は満面の笑みを浮かべながら話し出した。
「師直。今日はな、おかみから名を賜った。おかみの一字を賜り高氏(こうし)改め尊氏(そんし)となった。まあたかうじという読みに変わりはないがな。元々は高時殿より一字授かった高の字であったから、これで北条の一族から正式におかみの縁戚に加わることになったのかな。」
そういうと、子供のような高笑いをした。足利尊氏。彼の本当のこころ内を知る者はいなかった。
 

著作:藤田敏夫(禁転載)

 
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