奇将足利尊氏:第3話【六波羅陥落】
足利高氏はついに丹波篠村にて全軍を六波羅にむけた。5月7日のまだ空も白々とする時間にまだ一時待たねばならぬ午前四時ごろだった。全軍は、これから始まる想像もつかない大きな戦を前にして、かえって静まり返り、大軍が無言のままに進む様は異様だった。
篠村の外れまでさしかかった所で、足利高氏はふと馬を止めた。朝もやの中に、かすかに煙る落ち葉焚きの匂いにつられ見ると森の中より、みこの鳴らす鈴の音が聞こえてきた。
「よし、最初に出会ったあのやしろに戦勝の願をかけていこうぞ。」
そばにひかえた弟の直義や、高師直、上杉憲房らと、この小さな村の鎮守の境内に入っていった。
ほこらの前にひざまづいて祈ると、そばにいたみこに尋ねた。
「ここの神社は、どのような神を祭っているのか?」
すると、みこの言う事には、この神社は河内の国の誉田八幡を勧請して、その名を篠村八幡宮というとの事。
「ほほう。これも何という奇遇であろう。八幡大菩薩の神前とは。」
八幡大菩薩の化身たる祖、八幡太郎義家の直系の足利高氏は祖父の残した置文の事をいまさらのように思い出していた。
六波羅に迫る頃には、すでに内奏済みの千種忠顕(ちぐさただかね)軍、赤松則村(あかまつのりむら)軍の活躍も聞こえて来るようになり、ついに京の町を東に望むあたりで六波羅軍と全面衝突した。ひとしきり衝突の後に、束の間のにらみ合いがあった。ふと見ると、足利軍の中から一騎の武者が走り出て、六波羅軍に向かい声を張り上げた。
「足利の家来にて、設楽(したら)五郎左衛門と申す。六波羅の衆で、我と思わん人あらば、お相手願う。」
一騎打ちのはたし口上であった。その勇気ある武者に、敵も味方も、だれが相手をするのかと一瞬手を止めて見守った。
六波羅軍の中より進み出てきたのは、意外にも老人だった。
「われこそは、六波羅の奉行の一人として長年書記の職に仕えた斎藤伊予房玄基(さいとういよのぼうげんき)なり。筆を太刀に替えてご奉公する身なれば、いざ勝負。」
足利軍きっての武者と思える設楽五郎左衛門と太刀の使い方さえなれない老体の斎藤伊予房玄基では、勝負は明らかに見えたが、まさに死闘とはこのことで、両者馬上で組み合ったかと思うと、そのまま落馬し、力の勝る設楽が斎藤の上にまたがると、その首をかききった。同時に斎藤も組み伏されながらも下から設楽を太刀で三度突き上げ、両者そのままの形であい果てたのだった。
勇者に続けとばかりに再び両軍いりみだれての死闘が再開された。徐々に敗退していく六波羅軍に足利高氏軍は優勢に戦いを続けた。もはや、これまでと、六波羅では、天皇、上皇を連れ六波羅探題北条仲時以下、一端鎌倉へ落ちることにした。
しかし敗残の兵に現実は残酷であった。六波羅探題らを連れた軍は、六波羅をわずかに出た所で野伏の群れに攻撃され、恥辱の内に全員その場で自害し、あとは、一面の血の海と化したその中に、ただ呆然と天皇が立ちすくんでいるだけだった。
著作:藤田敏夫(禁転載)
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