太平記の主役達
足利尊氏
嘉元3年(1305)〜延文3年(1358)
室町幕府初代将軍
幼名又太郎、元服し、執権高時より諱を得て高氏と名乗る。
鎌倉滅亡後後醍醐天皇より諱を賜り尊氏と改名する。
正慶2年、鎌倉幕府の命で出陣し、反転して京都六波羅を攻撃。北条政権を打倒した。
建武3年、後醍醐政権を倒して京都に幕府を開いた。
吉野の後醍醐天皇と対立し、以後数十年を南北朝時代と呼ぶ。
楠木正成
永仁2年(1294)〜延元元年(1336)
河内の千早・赤坂城にて孤軍鎌倉幕府と戦い、鎌倉滅亡のきっかけを作った武将。
延元元年、建武政権と対立した足利尊氏と湊川で決戦し敗れ去る。
唱歌「青葉繁れる」に出てくる桜井の別れは、戦前の教育を受けた人達には感慨深いものとして残っている。現在皇居二重橋付近に銅像として残る。
神戸の湊川神社にある水戸黄門の筆による「嗚呼忠君楠子乃墓」は有名。
新田義貞
正安3年(1301)〜延元3年(1338)
上毛野国新田荘より、たった150騎で挙兵し、鎌倉を攻め滅ぼした。
稲村ヶ崎に太刀を投げ入れ海神に祈ったら海水が引いて敵の鎌倉防衛線を突破できたという逸話は有名。
南北朝の対立では南朝側として生涯戦い越前で戦死した。
後醍醐天皇
正応元年(1288)〜延元4年(1339)
天皇親政を理想に戦い楠木正成らの協力で鎌倉幕府を滅ぼしたものの、失政で足利尊氏の反旗に敗れ吉野に逃れた。
 
 
 
 
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