珍説その二:楠木正成は湊川で寝返る予定だった |
1.足利尊氏と内通していた。 楠木正成は、湊川出陣の直前に、朝廷へ尊氏との和睦を上奏して却下されております。このとき、こともあろうに、ともに戦ってきた新田義貞を裏切るように薦めているのです。これは足利尊氏と内通していたなによりの証拠ではないでしょうか。ともに後醍醐天皇への忠義を誓って戦ってきた身内を裏切るように天皇に上奏するなど、「忠臣」とは似ても似つかぬ、仲間に対する裏切り行為です。新田義貞に後醍醐天皇をないがしろにして、私利私欲に走っているような態度が見られるのならまだしも、楠木正成は、そうは言っておらず、あくまでも新田義貞より足利尊氏のほうが、強いからという理由で、上奏しているのです。
実はこのときでさえ楠木正成は、遅刻する予定だったのではないでしょうか。なんらかの手違いか、新田軍に援軍の進軍の遅いのを疑われてやむなく一日早く到着してしまったと考えれば、この湊川での不可解な楠木正成の戦死の謎がとけます。 つまり、楠木正成の計画では、ここでも新田足利両軍の戦いを、戦場に遅刻したことを理由に傍観し、優劣がはっきりしてきた時点で優勢の側につくという日和見をするつもりだったのです。 戦場での楠木正成の位置は陸上から来る足利直義軍を阻止する構えで、足利尊氏の海軍とともに主力の新田義貞軍を挟み打ちにする構えになっていました。もしここで足利軍、新田軍の戦闘が開始されれば、楠木正成軍は山の上から傍観していればよいことになります。 なぜなら足利尊氏の主力が上陸する際には陸上よりの援軍がどうしても必要になります。そのための足利直義陸上軍ですから、主力の戦闘が開始されればそちらへ向かうはずだからです。そこでもし官軍が劣勢になった場合は新田義貞軍の背後をついて寝返れば足利軍の完全勝利です。
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