【鎌倉滅亡悲話(5) 金沢貞将の場合】
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金沢貞将(かなざわさだまさ)は、みずから将兵の先頭に立って敵と戦っていた。
「最後の一戦に挑んで、将みずから戦わずして何とする。金沢家は父祖の代より剣の道に生きた坂東武者なるぞ。」
家臣達が止めるのも聞かず金沢貞将は一心不乱に敵と戦っていた。全身を刀傷で血に染めながらも金沢貞将はまるで伝令の兵卒のように戦況報告に北条高時の元に走った。
「この貞将がいるかぎり敵の一兵たりとも、この東勝寺には近づかせませぬ。ご安心くだされ。なれば貞将、もう一戦交えて参りますので、失礼つかまつる。」
金沢貞将の顔は笑っていた。
「おお、貞将。なんとたのもしいその言葉。高時感じ入ったぞ。さればぜひそなたに与えたい物がある。しばし、そこにまたれよ。」
命も惜しまず敵に向かおうとする者に、なにを下さるというのか。金沢貞将は、ふに落ちない風に足を止めて北条高時を見つめた。北条高時は、紙になにやら書き付けて、最後に花押を印すと、それを金沢貞将に手渡した。
「ただいまより、そなたを六波羅南方探題ならびに北方探題に任ずる。この高時に出来るせめてものはなむけじゃ。受け取れよ。」
それは両探題を命ずる御教書であった。金沢貞将は、思わず感涙にむせんだ。自らの筆になる御教書を書く北条高時の心を察し貞将は、ひれふさんばかりにうやうやしくそれを受け取った。
(鎌倉殿は、われが、すでに南方探題の職にある事すら忘れてしまわれるほどに政治の実権から離されてしまわれていたに違いない。なんともお痛わしい限りだ。このうえは、何としてもこの心遣いのご恩に報いようぞ。)
「されば殿、われはただ今より金沢相模守貞将を名乗らせていただきます。これぞ武人の誉れにござる。」
金沢貞将は、思いなおして、北条高時に向かって言った。そして、その手よりしたたる血を指先に集め受け取った御教書の裏に、つぎのようにつづった。
『我が百年の命をすてて、公(きみ)が一日の恩に報いらん。』
そして、それを鎧の中にしまうと、いざと声をあげて敵陣の中へと消えていった。こうしてほんのひと時のみの六波羅最後の両探題金沢相模守貞将の雄姿は、鎌倉の露と消えた。
 
著作:藤田敏夫(禁転載)
 
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